これまでのキャリアのこと(6)
産業振興課・企業立地課
平成21年4月に産業振興課へ異動となりました。
このころ中小企業診断士受験のための勉強を始めており、仕事がそれと関係する分野になったことで張り切って着任しました。
企業との相談、折衝のほか、行財政改革の一環で進められていた第三セクターの公益法人化に関する業務や、ビジネスプランコンテストの立ち上げ、補助金の設計と運営を担当しました。
平成22年4月に中小企業診断士登録となりました。特段、資格が仕事で役に立つ場面はなかったような気もしますが、試験勉強を通じて決算書を読むスキルや、補助事業計画書や予算要求文書などの文章の読み書きは上手になったんじゃないかと思っています。
産業振興担当から企業立地担当へ配置換えとなり、展示会出展やターゲット企業への訪問(営業)、受け入れ企業の調整を行いました。
東京に外郭団体の拠点を置くことになり、契約職員を一人現地雇用するため、事業所の立ち上げから給与事務、源泉徴収や社会保険の手続、納付など一通りの経験をしました。あまり役所でこういう経験をしている職員は多くないのではないかと思います。
農業委員会事務局
平成27年に、農業関連では2つ目の職場として、農業委員会事務局へ配属となりました。
当時、農林水産省が推進していた農地台帳と地図の電子化業務を担当することとなり、既存の台帳システムの記録や、市役所で保有する住民基本台帳、地図や税、法務局の登記情報データベースとの整合性を確保するための作業を行いました。
農地法関連許可を担当する係長としても、許認可手続きや、農家、農業委員との折衝を担当しました。
科学館
自治やコミュニティの現場には「まちづくりは人づくり」という言葉があります。
私は、まちづくりをする人を育てるのは社会教育だと感じていたので、いつか公民館や博物館などの社会教育の現場で仕事をしたいと考え、いつも異動希望の先に入れていました。
役所の人事異動は大体3~4年ごとに自分の順番が回ってきますが、希望先に配属になることはあまりありません。空きがないと動かしようがないのと、空きをつくろうにもパズルのような複雑さがあり儘ならないからだといいます。
平成31年、この時はたまたま電子工作を担当していた方が定年退職されたので、そこにちょうど電子工作のスキルがある私、というピースがはまったようです。
5年間在籍しましたが、メイカースペースを開設したり、新しい展示を制作したりと、さまざまな世代の方に科学や技術の不思議や楽しみを伝える仕事でやりがいも多かったです。
退職するのは名残惜しい気もしたのですが、いつまでも同じ職場にとどまることができないのは定めですし、人生を次のステップに進めるため、ここを最後にサラリーマン生活を卒業しました。