これまでのキャリアのこと(3)

科の統合、転職

採用翌年の1999年3月、製材科と隣の乾燥科が統合され、製材乾燥科が新設されました。

旧製材科の職員で残ったのは技能職員さんたちと、新米の私だけで、私以外の研究職員は旧乾燥科からのスライド組でした。

また、それまで技能職員には居酒屋の小上がりのような休憩室が充てられていたのですが、この再編をきっかけにそれがなくなり、今後は事務室で休憩するようにと机がめいめいにあてがわれ、妙な違和感を覚えた記憶があります。このあと、技能職員の制度が当時の一代限りで廃止されたため、そのための布石だったのだろうと思います。

私は木材の乾燥についてなじみも専門知識もなく、またその分野には旧乾燥科の先輩方が大勢いましたから、私は統合後も以前からの製材工場の経営診断・改善プロジェクトのメンバーとして調査に加わるのと、併せてMS Access を使った製材工場の業務システムの開発を担当していました。

研究の仕事は楽しくやっていましたが、何か熱中できるというほどのものもなく、毎日PCに向かっての作業が今一つ物足りないと感じることが多くなったように思います。

そんななかに、製材工場の経営診断・改善プロジェクトに参加していた同い年の同僚が退職し、旭川市へ転職していったのを見て、ああこういうこともできるのか、と思い立ち、公務員試験の受験勉強を始めました。

当時北海道は212市町村と人口570万人を抱え、試験場の仕事は基本的にその全体に目を配る必要がありましたから、身近な住民や産業のために仕事をしているという実感が、今一つ得られなかったという気持ちがありました。これも今思うと、組織外の人と会う機会を積極的に持っていなかったせいなのではないかと反省しています。

またこの時期は財政的にも厳しかったとみえ、出張や外勤のための交通費の予算が十分でないという状況が続き、市内での打ち合わせもままならないという事があり、こういったことも転職の後押しになったように感じています。試験場も今は地方独立行政法人となり、この辺りの事情は良くなっているのではないかと思います。

プライベートでは、2000年に職場の同僚と結婚しました。

2001年秋に旭川市の採用試験に合格し、翌年3月に妻を職場に残して円満退職。

2002年4月に旭川市に採用、農政部農業振興課の配属となりました。