これまでのキャリアのこと(4)

農業振興

2002年4月、旭川市役所での最初の配属は農政部農業振興課で、当時は4条通の朝日生命ビルにオフィスがありました。

担当となったのは、コメや野菜の生産農家を支援する農産係です。最初に任された仕事は係の予算管理や、各農協への連絡調整、統計の取りまとめと報告など、雑多な仕事が中心です。

そのぶん先輩職員の仕事の仕方や、市内農業の全体像と役所の仕事の流れを把握することができたと感じています。2年目以降は、コメの生産と販売の振興にかかわりました。補助金の設計を初めて手掛けたのもこのころです。

旭川市はコメの市町村別生産量ランキングで日本一になったことがあるほどの北海道稲作の中心地です。
大雪山や十勝連峰に連なる山に囲まれた上川盆地は、これらの山々からの雪解け水に恵まれて水田が広がっています。
田んぼの真ん中にある旭川空港に降り立った人は、まず見渡す限り広がる田の景色に驚くようです。
田植え前の時期には丘の上から見渡すと一面の水鏡、秋には稲穂が黄金色に輝いて素晴らしい眺めです。

農政部に配属になったとはいえ、農業のことはまるで素人です。
とはいえ、祖父母の代までは実家も農家、親戚もほとんどが農家でしたから、なんとなくそのあたりの記憶を頼りに、資料や法令にあたりつつ、産業としての農業や農業施策を学び、農業の現場のことは、仕事を通じて訪れる先々で、農協や農家の皆さんからいろいろな話を伺って知ることができました。

一番思い出に残っているのはコメの販売促進を担当したことでした。
このころ、各農協や自治体では、独自の地域ブランド米を販売することが流行っており、旭川でも統一ブランド米を市内にある4つの農協が協力して生産出荷していました。
作って売るからには、PRをして1キロでも多く売りたいところ。私もフリーペーパーに出稿していた広告を、記事仕立てのものに変えてみたり、米がとれない十勝や釧路で、親子おにぎり教室を開催して浸透を図ってみたりしたものです。

いまでこそ北海道民が食べる米の産地割合(道内食率)は、北海道産が9割となりましたが、平成15年当時は6割程度。十勝や釧路などの畑作地帯では多くの人が本州産のコシヒカリを食べていると言われていました。その後ななつぼし、ふっくりんこ、ゆめぴりかといった新品種が次々とデビューし、北海道の米は旨いというイメージが定着しました。